真鍋博 年譜
年 | 月 | 真鍋年譜 | 関連事項 | |
1932年 | 7月 | 愛媛県宇摩郡別子村に父・富太郎、母・喜美江の長男として生まれる。父・富太郎は村の助役をしていた。 | ||
1935年 (3歳) |
父が住友金属鉱山に入社し新居郡中萩村(現新居浜市)に転居。 | |||
1943年 (11歳) |
泉敬太郎(のちに全国でも初の革新派新居浜市長となる)の薫陶を受ける。 | |||
1948年 (16歳) |
4月 | 愛媛県立新居浜西高等学校入学。 | ||
1950年 (18歳) |
住友倶楽部にて裸婦の講習会に参加、講師は小磯良平と太田忠だった。 | 2月 | 丸木夫妻《原爆の図》連作開始。 | |
1951年 (19歳) |
3月 | 愛媛県立新居浜西高等学校卒業。 | 4月 | デモクラート美術家協会結成 |
4月 | 多摩美術大学油絵科入学。東京都武蔵野市吉祥寺に住む。 | 6月 | 神田にタケミヤ画廊(企画・瀧口修造)開廊。 | |
8月 | 実験工房結成 | |||
11月 | 神奈川県立近代美術館開館。 | |||
カミユ『異邦人』邦訳 サンフランシスコ講和会議にて対日平和条約調印 |
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1952年 (20歳) |
10月 | 第6回二紀会展(8日〜26日 東京都美術館 以後同会場)に《静物B》 を初出品。 | 1月 | 『美術批評』創刊(〜1957年2月)。 |
日米安保条約発効、GHQ廃止 血のメーデー |
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1953年 (21歳) |
2月 | 第5回読売アンデパンダン展(4日〜20日 東京都美術館 以後同会場)に《錨と鰈》を初出品。 | 6月 | 第1回ニッポン展開催。 |
10月 | 第7回二紀会展(9日〜26日)に 《湿地区》 を出品褒賞受賞。 | NHK、初のテレビ本放送開始 | ||
1954年 (22歳) |
2月 | 第6回読売アンデパンダン展(3日〜19日)に出品。 | 1月 | 劇団「四季」旗揚げ公演 |
3月 | 多摩美術大学卒業。卒業後、宮本三郎に師事。 | 8月 | 具体美術協会結成。 | |
4月 | 第1回真鍋博個展(2日〜4日 新居浜・別子大丸)開催、《錨と鰈》 《埋葬》 (60号) 《腐蝕した室内》 (60号) など油彩23点を展示。 | 11月 | 花田清輝『アヴァンギャルド芸術』刊行。 | |
港区立赤坂中学校に勤務(1958年3月まで?)。 | ||||
5月 | 二紀会春季展に 《布のある室内》 出品。 | 映画「ゴジラ」第1回封切り | ||
10月 | 第8回二紀会展(9日〜26日)に 《鳥籠を持った人々》 《グッド・バイ》 《廃馬のある室内》 を出品、奨励賞を受賞。 | 第5福竜丸、アメリカのビキニ水爆実験により被爆 | ||
11月 | 真鍋博個展(15日〜20日 銀座・養清堂画廊)開催、《兵隊》《腐蝕した室内》 (100号) 《埋葬》 (100号) など油彩16点を展示。 | 原水爆禁止署名運動、全国協議会結成 | ||
1955年 (23歳) |
3月 | 第7回読売アンデパンダン展(1日〜17日)に 《結核の人》 《蒲団》 《食卓》 を出品。 | 1月 | 日本デザイナー協会設立。 |
池田満寿夫、堀内康司らとグループ「実在者」結成。 | 4月 | 制作者懇談会結成。 | ||
4月 | 真鍋博個展(1日〜3日 新居浜市・朝日屋)開催、《湿地区》ほか油彩19点、デッサン13点を展示。 | 10月 | 第1回グラフィック55展開催。 | |
5月 | 真鍋博個展:テーマ「現代の病人」(30日〜6月4日 銀座・養清堂画廊)開催、《繃帯をまいた人》 《政治囚》 など油彩18点を展示。 | 10月 | 具体美術協会第1回東京展。 | |
5月 | 第3回ニッポン展出品。 | |||
6月 | 第1回グループ「実在者」展:テーマ「戦争」(28日〜7月2日 銀座・フォルム画廊)に 《繃帯》 など油彩4点を出品、アイ嘔も参加。 | 第1回原水爆禁止世界大会 | ||
8月 | 第2回グループ「実在者」展:テーマ「無人間時代」(8日〜13日 銀座・村松画廊)に 《埋設工事》 など油彩5点を出品。 | 森永砒素ミルク事件発覚 | ||
43人展(26日〜31日 銀座・松坂屋)に出品。 | ル・コルビジェ来日 | |||
10月 | 第9回二紀会展(9日〜26日)に 《セイブツ》 を出品、二紀賞受賞、同人推挙。 | 日本住宅公団設立 | ||
11月 | 真鍋博個展(2日〜4日 松山・伊予鉄ホール)開催、油彩25点展示。 | |||
グループ「実在者」退会。 | ||||
12月 | 今日の新人・1955年展(3日〜1956年1月15日 神奈川県立近代美術館)に 《都会主義者》 を出品。 | |||
1956年 (24歳) |
2月 | 真鍋博個展「27匹の昆虫」(2日〜7日 銀座・村松画廊)開催、27点展示。 | 5月 | ニューヨークで日本グラフィック・デザイン展開催(原弘、早川良雄、亀倉雄策ら)。 |
3月 | 第8回読売アンデパンダン展(1日〜17日)に 《アパート》 を出品。 | 10月 | 『ユリイカ』創刊(〜1961年2月) | |
9月 | 真鍋博作品展(1日〜15日 新宿・風月堂画廊)開催、《セイブツ(人間)》 《都市主義者》 など油彩20点に加え彫刻、フォト・モンタージュ等を展示。 | 11月 | 「世界・今日の美術展」で仏のアンフォルメル等紹介。 | |
10月 | 第10回記念二紀会展(9日〜26日)に 《六災図(旱ばつ)》《壁画・キリスト》 を出品、同人優賞受賞。 | 石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞受賞 中野好夫『もはや「戦後」ではない』刊行 |
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46人展(12日〜17日 銀座・松坂屋)に出品。 | 『週刊新潮』創刊(週刊誌ブーム到来) 水俣市で原因不明の中枢神経病が問題化 |
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12月 | 『ユリイカ』(書肆ユリイカ)の表紙及び本文のカットを担当(〜1961年2月)。 | 日ソ国交回復に関する共同宣言調印 日本、国連に正式加盟 |
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1957年 (25歳) |
2月 | 真鍋博個展「動物」(12日〜20日 神田・タケミヤ画廊)開催、《1ツ目2ツ目3ツ目》 《隠シ神》 など24点を展示。 | 2月 | 東京都庁(丹下健三設計)第1庁舎落成、岡本太郎が壁画を制作。 |
第9回読売アンデパンダン展(25日〜3月12日)に出品。 | タケミヤ画廊閉廊。 | |||
3月 | 美術団体選抜新人展(26日〜4月7日 白木屋/朝日新聞社主催)に出品。 | 4月 | 日本デザイン協議会設立。 | |
4月 | 青井辰雄・真鍋博2人展(6日〜11日 松山・三越)開催、油彩、グワッシュなどを展示。 | 6月 | デモクラート美術協会解散。 | |
6月 | 漫画集『食民地ニッポン』(昭森社)刊行。 | 第1回東京ADC(アド・アート・ディレクターズ・クラブ)賞に大橋正。 | ||
7月 | 真鍋博フォト・コラージュ個展(22日〜28日 銀座・櫟画廊)を開催。 | 南極探検隊、昭和基地誕生 | ||
10月 | 第11回二紀会展(10日〜27日)に 《樋幽霊》 《蜘蛛一族》《右手炎上》 を出品、同人賞受賞。 | J.マチュウ、M.タピエ、S.フランシス来日、公開制作が話題となる | ||
46人展(12日〜17日 渋谷・東横)に出品。 | ソ連、世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功、 | |||
11月 | 安井賞候補新人展(12日〜24日 東京国立近代美術館)に出品。 | 宇宙開発時代の到来 | ||
1958年 (26歳) |
3月 | ユリイカ詩画展(3日〜9日 新橋・画廊ひろし)に出品、長谷川竜生と組む。 | 7月 | 新超現実派結成。 |
第10回読売アンデパンダン展(12日〜27日)に 《飛花》 を出品。 | 9月 | ブリュッセル万博で日本館(前川國男設計)金賞受賞。 | ||
グループ多摩美展(29日〜4月3日 松山・三越ほか)に出品。 | 12月 | 東京タワー(内藤多仲設計)完工。 | ||
4月 | 第2漫画集『寝台と十字架』(ユリイカ)刊行。 | |||
5月 | ポレミックタブロー「動物園」を『図書新聞』(日本経営出版会)に掲載(〜1959年5月?)。 | テレビ受信契約数1000万台を突破 | ||
ポレミックタブロー「女のいない国へ行こう!」を『現代詩』(百合出版)に掲載(〜12月)。 | 大江健三郎『飼育』が芥川賞受賞 | |||
7月 | 『漫画報』37号で真鍋博特集が組まれる。 | 江藤淳、石原慎太郎、大江健三郎らが「若い日本の会」結成 | ||
8月 | 4人の漫画家展(長新太、真鍋博、久里洋二、井上洋介)(18日〜24日 新橋・画廊ひろし)に出品。 | |||
9月 | ポエム・オブジェ展(8日〜14日 新橋・画廊ひろし)に出品。 | |||
空の写真展(12日〜17日 銀座・小西六ギャラリー)に出品。 | ||||
10月 | 第12回二紀会展(10月12日〜30日)に 《前兆》 《輸入品》 《空の衛生》 《アパートの人》 《行進》 を出品。 | |||
三宅麗子と結婚し、杉並区西荻窪に転居。 | ||||
「がいらいご・がっさいぶくろ」を『美術手帖』に掲載(〜1959年8月)。 | ||||
11月 | 星新一「おーい でてこーい」の挿絵を同人誌『宇宙塵』に掲載。 | |||
12月 | 絵本『棗を喰った話』(文・関根弘 絵・真鍋博)(亜紀社)刊行。 | |||
長新太、真鍋博、久里洋二、井上洋介漫画4人展(20日〜1月20日 新宿・風月堂)を開催。 | ||||
1959年 (27歳) |
1月 | ポエティ・グラフィカ展(11日〜31日 新宿・風月堂)開催。 | 4月 | 草月アートセンター活動開始。 |
「愛媛の昔語り」を『愛媛新聞』に連載(〜1960年8月)。 | 6月 | 国立西洋美術館(ル・コルビュジエ設計)開館、松方コレクション公開。 | ||
ミステリの専門誌『宝石』の目次カットを担当(〜1960年12月) | 10月 | 『デザイン』創刊。 | ||
2月 | 第11回読売アンデパンダン展(12日〜27日)に出品。 | 12月 | 日本デザインセンター設立。 | |
3月 | 『動物園』(ユリイカ)刊行。 | |||
櫟画廊新人展第1回島田しず子・真鍋博展(20日〜26日 銀座・櫟画廊)開催。 | ||||
5月 | 絵本『おいらん物語』(文・岩田宏 絵・真鍋博)刊行。山川方夫『日々の死』(平凡出版)装幀。 | 漫画同人雑誌ブーム『えへ』『COO』(久里洋二主宰)など | ||
6月 | 『現代詩全集』(書肆ユリイカ)装幀。 | 『朝日ジャーナル』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊、週刊誌刊行ラッシュ | ||
8月 | 『ロートレアモン全集』(書肆ユリイカ)の装幀と挿画(エッチング)に携わる。 | 皇太子御成婚 | ||
9月 | 仁木悦子『林の中の家』(講談社)装幀。 | オリンピック、東京開催決定 | ||
10月 | 第13回二紀会展(12日〜30日)にセイブツ・アメリカンシリーズ 《断末魔の遺品》 《美しい副腎嚢》 《髪の毛の果物》を出品。 | |||
アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』(河出書房新社)装幀。 | ||||
12月 | 長男・真 生まれる。 | |||
1960年 (28歳) |
3月 | 「草月コンテンポラリーシリーズ第1回 作曲家集団3月の会 林光」にて 《ミュージカル・プロジェクション〈僕は神様〉》 (台本=安部公房、製作=真鍋博)上映。 | 2月 | 『SFマガジン』創刊。 |
櫟画廊新人展(20日〜26日)開催。 | 草月アートセンター機関誌『SAC』創刊(〜1964年4月8日)。 | |||
4月 | 新宿区荒木町に転居。 | 5月 | 世界デザイン会議、東京で開催。 | |
5月 | 「草月ミュージック・イン第5回 モダンジャズの多角的応用」にて 真鍋博 《シネ・カリカチュア》 (作曲=美保敬太郎)上映。 | 6月 | 東京オリンピックの五輪マークに亀倉雄策案当選。 | |
6月 | 第6回原水爆禁止世界大会への参加を呼びかける10円パンフ「原水爆があるかぎり」の作成に参加。 | 新日米安全保障条約調印 | ||
7月 | 「吃音宣言」(文=武満徹)『SAC』にカットを掲載(〜1963年12月1日)。 | 大島渚《日本の夜と霧》など日本映画が話題 | ||
9月 | モルカディ・ロシュワルト原作「レベルセブン 第七地下壕」『朝日ジャーナル』(4/17〜9/11号連載)挿絵で第1回講談社さしえ賞受賞。 | 新安保条約強行採決 | ||
10月 | 『愛媛の昔語り』(朝日出版社)刊行。 | 国会内外で全学連と機動隊衝突、樺美智子死亡 | ||
第14回二紀会展(11日〜30日)に 《澱んでいる血液》 《分離する血液》 《うっせきした血液》 を出品。 | カラーテレビ放送開始 | |||
モルカディ・ロシュワルト『レベルセブン(第七地下壕)』(彌生書房)装幀。 | ||||
11月 | 久里洋二、柳原良平とアニメーション3人の会を結成。 | |||
「草月コンテンポラリーシリーズ第5回 3人のアニメーション」にて 真鍋博 《マリーン・スノウ》 (詩=木島始、演出=遠藤利男/観世栄夫、音楽=林光) 上映。 | ||||
12月 | 「草月コンテンポラリーシリーズ第6回 作曲家集団12月の会 諸井誠」にて 諸井誠 《赤い繭》 (台本=阿部公房)の美術装置担当。 | |||
1961年 (29歳) |
1月 | 『リルケ全集』(彌生書房)装幀。 | 1月 | 丹下健三研究所「東京計画1960」発表。 |
俳優座 《石の語る日》 (作=安部公房、演出=千田是也 22日〜4月30日 俳優座)の装置を担当 | 2月 | 東京オリンピック公式ポスター第1号発表。 | ||
2月 | 伊達得夫死去に伴い『ユリイカ』終刊。 | 4月 | 東京文化会館(前川國男設計)落成。 | |
3月 | 劇団四季24回公演 《ベケットあるいは薔薇と十字架》 (原作=J.アヌイ、演出=浅利慶太 20日〜27日 第一生命ホール)の美術を担当。 | ソ連の有人宇宙船、地球周回に成功 | ||
7月 | 岩田一男『英語に強くなる本』(光文社)カバーと挿絵を担当、戦後最大の発行部数を記録。 | |||
8月 | フジテレビにて切り紙によるアニメーション 《2つの山のおはなし》 放映。 | |||
12月 | 「草月シネマテーク第3回 3人のアニメーション・2」で真鍋博《シネ・ポエム作品No.1》 (脚本/演出=東松照明) 《山のおはなし2つ》 (台本=岩田宏、音楽=玉野良夫)上映。 | |||
1962年 (30歳) |
2月 | 人形劇団「ひとみ座」 《モマングランギニヨレスク》 (原作=谷川俊太郎、演出=清水浩二 13日〜17日 草月会館ホール)の美術を担当。 | 7月 | 安部公房『砂の女』発表。 |
4月 | 「鳥類図鑑」(カット/文)(〜'83年5月)を『現代の眼』に掲載。 | 9月 | 具体美術協会、展示施設グタイ・ピナコテカを大阪に開設。 | |
7月 | 《Lines of Lines》 (原作=谷川俊太郎)製作。 | 10月 | ジョン・ケージ来日、草月会館ホールなどで公演。 | |
劇団四季28回公演 《エレクトル》 (原作=J.ジロドゥ、演出=浅利慶太 15日〜22日 第一生命ホール)の美術を担当。 | ||||
11月 | 《宝島 第1話》 製作。 | 東京、世界初の1000万人都市に | ||
12月 | 『田村隆一詩集』装幀。 | テレビ受信契約者数1000万人突破、普及率48.5% | ||
1963年 (31歳) |
1月 | 映画 《モンローのような女》 (松竹 原作=舟橋聖一 監督=渋谷実)タイトルバック製作。 | 1月 | 《鉄腕アトム》 テレビ放送開始、初の国産連続テレビアニメ。 |
4月 | 「草月シネマテーク第6回 3人のアニメーション・3 (3日〜22日 草月会館ホール)で真鍋博 《時間》 (原案=都筑道夫 音楽=高橋悠治)、《MARCH》 (音楽=秋山邦晴)上映。 | 3月 | 小松左京、星新一らの日本SF作家クラブ発足。 | |
『週刊朝日』目次を担当(〜1965年5月)。 | 10月 | 日生劇場開場(村野藤吾設計) | ||
7月 | 『応用機械工学』カットを担当(〜1994年5月)。 | |||
11月 | 「フェーゲラインコール第9回演奏会」(14,15日 文京公会堂)のポスター制作。 | |||
1964年 (32歳) |
1月 | 『現代詩手帖』『文藝』の表紙とカットを担当(〜12月)。 | 1月 | 読売新聞社、読売アンデパンダン展中止を通告。 |
2月 | 劇団四季30回公演 《十字架への献身》 のポスター、パンフレット制作。 | 6月 | 第1回太陽賞に荒木経惟。 | |
4月 | ニューヨーク世界博日本館のイラスト壁画 《夢か現実か?》制作 | 7月 | 第1回草月実験劇場開催。 | |
新宿区大京町へ転居。 | 11月 | ペルソナ展でグラフィックデザイナーの近作展示。 | ||
6月 | 劇団四季31回公演 《イフィジュニイ》 のポスター、パンフレット制作 | |||
7月 | 「東京'64ガイドマップ」を久里洋二、柳原良平と合作。 | 東海道新幹線(東京-新大阪)開業 | ||
8月 | 京都絵地図(美術出版社)発行。 | 海外旅行自由化 | ||
東京イラストレーターズクラブの結成に加わる(久里洋二、柳原良平、粟津潔、宇野亜喜良、横尾忠則ら)。 | 代々木のオリンピック施設完成(丹下健三) | |||
9月 | 「草月シネマテーク第11回 アニメーション・フェスティバル」 (21日〜26日 草月会館ホール)で真鍋博 《潜水艦カシオペア》 (原作=都筑道夫)上映、フェスティバルには手塚治虫、和田誠らが参加。 | 永井一正、杉浦康平、田中一光ら活躍 | ||
1965年 (33歳) |
1月 | 『美術手帖』の表紙と目次を担当(〜12月)。 | 9月 | ニューヨーク近代美術館で池田満寿夫の版画展開催。 |
『太陽』に国立公園地図を掲載(〜1966年6月)。 | ||||
2月 | 劇団四季33回公演 《トロイ戦争は起こらないだろう》 ポスター、パンフレット制作。 | |||
教科書(光村図書など)のイラストを手がける。 | 日本万博、大阪開催決定 | |||
5月 | 『星をたべた馬』(岩崎書店)刊行。 | ベトナム戦争激化 | ||
9月 | 次男・由 生まれる。 | |||
10月 | 「アニメーション・フェスティバル65」(1日〜18日 草月会館ホール)で真鍋博 《宇宙鳥》 (原作=都筑道夫)上映。 | |||
戦後の現代日本美術展(20日〜11月8日 神奈川県立近代美術館)に 《蓮花》 を出品。 | ||||
11月 | 「アニメーション・フェスティバル65」松山で開催(1日 松山市民会館/南海放送主宰) 真鍋博 《宇宙鳥》 《時間》 上映。 | |||
12月 | 「植物園」を『図書新聞』(日本経営出版会)に連載。 | |||
1966年 (34歳) |
4月 | 『岩田宏詩集』(思潮社)装幀。 | 6月 | 第33回ヴェネチア・ビエンナーレで池田満寿夫版画部門グランプリ。 |
7月 | 『ミステリマガジン』(早川書房)表紙、タイトルと目次を担当(〜1979年6月)。 | 10月 | 札幌冬季オリンピックの公式マーク、永井一正デザインに決定。 | |
10月 | 「アニメーション・フェスティバル66」(21日〜11月4日 草月会ホール)で 《追跡》 (台本=星新一)上映。 | 日本の総人口1億人突破 ザ・ビートルズ来日 中国で文化大革命 |
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11月 | 『絵で見る20年後の日本』(日本生産性本部)刊行。 | 《ウルトラマン》テレビ放映開始 | ||
1967年 (35歳) |
2月 | 『ソビエトSF選集』全5冊(大光社) 表紙を担当 (〜9月) | 7月 | 岡本太郎、万博のテーマ展示プロデューサーに決定。 |
4月 | 『ENGINEERS』(日本科学技術連盟)の表紙を担当(〜2001年3月)。 | |||
「カメラリポート」(NHK)の出演が始まる。 | ||||
6月 | 「ぼくの未来住宅」を『高層住宅』(有朋社)に掲載(〜1979年12月)。 | 第3次中東戦争勃発 | ||
カナダ・モントリオール万博を取材し、朝日新聞に絵と文を掲載。 | 公害対策基本法公布施行 | |||
「真鍋博の鳥の眼」を『サンデー毎日』に連載開始、全国45都市の鳥瞰図を描く。 | サルトル、ボーヴォワール来日 | |||
12月 | 『日本万博』vol.4(日本万博協会)のイラストを手がける。 | 天井桟敷、早稲田小劇場など小劇場活動盛ん | ||
1968年 (36歳) |
1月 | 『科学朝日』(朝日新聞社)にカットを掲載(〜1969年12月)。 | 3月 | 第1回京都デザイン会議開催。 |
8月 | 「冒険への招待」全5回(NHK、女性手帳・話の招待席)に出演。 | 4月 | 初の超高層ビル霞ヶ関ビル竣工(地上36階、147m)。 | |
12月 | 『真鍋博の鳥の眼』(毎日新聞社)刊行。 | 7月 | 日本未来学会発足。梅棹忠夫、小松左京らの未来論ブーム。 | |
東大紛争開始 仏で5月危機 |
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1969年 (37歳) |
1月 | 『2001年の日本』(加藤秀俊/真鍋博/朝日新聞社 共同編集 朝日新聞社)刊行。 | 5月 | 東名高速道路全面開通。 |
4月 | 東京イラストレーターズクラブ展(3日〜30日 プラザディック)に出品。 | 6月 | イラストレーター会議発足(早川良雄ら)。 | |
『こんにちは三井銀行』表紙及びカットを担当(〜1998年10月)。 | 安田講堂の封鎖を解除 | |||
7月 | 人類初の月面着陸に成功したアポロ11号3人の飛行士来日の特別番組(NHK)でアームストロング船長らと歓談。 | 経済企画庁、日本の1968年度GNPが世界第2位に躍進と発表 | ||
「星空散歩」全5回(NHK、女性手帳・話の招待席)に出演。 | ||||
1970年 (38歳) |
3月 | 日本万国博(14日〜9月13日 大阪・千里)の三菱未来館の起案に参加。万博開催記念たばこのパッケージデザインやガイドマップを手がける。 | 3月 | 京都で国際未来会議 |
5月 | 「SFショートショート」『月刊エコノミスト』のイラスト担当(〜1972年12月)。 | 4月 | 戦争絵画155点アメリカから返還。 | |
12月 | 沖縄国際海洋博テーマ委員。 | 6月 | 日宣美、解散式を全国5会場で同時開催。 | |
「こんにちは奥さん」「お母さんの勉強室」「10代とともに」(NHK)にたびたび出演し、子どもの教育について語る。 | 『an・an』『non・no』などファッション誌創刊 東京都で初の光化学スモッグ現象確認 万博閉幕、総入場者数6421万人、万博美術展は177万人来場 三島由紀夫、自衛隊を占拠し割腹自殺 自動車事故による死者数ピーク 銀座、新宿で歩行者天国始まる 本州四国連絡橋公団設立 |
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1971年 (39歳) |
1月 | 『超発明』(講談社)刊行。 | 6月 | 新宿に超高層の京王プラザホテルオープン(地上47階、170m)、副都心ビル群出現のはじまり。 |
『放送朝日』(朝日放送)に「Visual Communicator Corner」を連載(〜1972年12月) | ||||
5月 | 『真鍋博の複眼人間論』(実業之日本社)刊行。 | |||
7月 | 『ひとり旅教育』(文藝春秋)刊行。 | NHK総合テレビ、全カラー化 | ||
10月 | 『自動車じどうしゃ』(主婦と生活社)刊行。 | |||
『父・真鍋富太郎』(限定150部)出版。 | ||||
12月 | 「昆虫記」を『図書新聞』(日本経営出版会)に連載。 | |||
1972年 (40歳) |
4月 | 自ら発案した4人乗り三輪自転車「フランキー号」にて霞ヶ浦周遊。 | 2月 | 住友金属、別子銅山の閉山を発表。 |
『ユネスコクーリエ』にイラストと文を掲載(〜1979年3月)。 | 3月 | 具体美術協会解散。 | ||
12月 | バイコロジーをすすめる会推進企画委員。 | 5月 | 環境庁、第1回瀬戸内海水質汚濁総合調査開始。 | |
バイコロジーブームに。 | 11月 | 東京で世界都市会議開催。 | ||
『ぴあ』創刊 札幌冬季オリンピック開催 浅間山荘事件 沖縄返還 東京都、光化学スモッグ対策に関する交通規制案政策 |
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1973年 (41歳) |
1月 | 『ミリオンホーム』(ミリオンホームセンター)の表紙を担当(〜1975年3月?)。 | 10月 | 京都で、世界インダストリアル・デザイン会議議開催。 |
4月 | 『自転車讃歌』(ぺりかん社)刊行。 | |||
第9回東京国際見本市ポスター制作。 | 文庫本ブーム | |||
5月 | 「ゆっくり歩こう運動」のポスター、ワッペンを制作。 | 水俣病裁判、患者側全面勝訴 | ||
「ユックリズム」が流行語に。 | 小松左京のSF小説『日本沈没』(光文社)が350万部の大ベストセラーに | |||
「思考の憶え描き」を『SFマガジン』(早川書房)に連載(〜1975年9月)。 | ||||
6月 | 自転車「赤とんぼ号」を乗り継いで日本1周3000kmをする計画が実現、関連グッズの制作。 | PCB汚染が問題化 | ||
8月 | 『未来行き列車に乗って』(文化出版局)刊行。 | 第4次中東戦争勃発、原油価格値上げ、オイル・ショックにより日用品高騰 | ||
1974年 (42歳) |
4月 | 第10回東京国際見本市ポスター制作。 | 9月 | 宇宙開発事業団、種子島宇宙センターから試験用ロケット1号機打ち上げ成功。 |
6月 | 星新一の作品集全18巻(新潮社)装幀(〜1975)。 | 電通の広告取扱高、世界一に 有吉佐和子「複合汚染」(朝日新聞連載)ブーム |
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7月 | 『歩行文明』(PHP研究所)刊行。 | 自動車国内需要、戦後初のマイナス成長 | ||
1975年 (43歳) |
4月 | 第11回東京国際見本市ポスター制作。 | 7月 | 沖縄国際海洋博覧会開催。 |
5月 | 『真鍋博Original1975』(講談社)刊行。 | 9月 | 万博公園の岡本太郎・太陽の塔、永久保存決定。 | |
7月 | 紀田順一郎「世界の書物」『週刊新潮』にイラスト掲載(〜12月)。 | 新幹線、岡山-博多開業により、東京-博多全面開通 政府の公報予算急増 ベトナム戦争終結 カラーテレビ普及率91% リニアモーターカー開発に成功 |
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1976年 (44歳) |
3月 | 『真鍋博の植物園』(中央公論社)刊行。 | ||
7月 | 『思考の憶え描き』(早川書房)刊行。 | |||
11月 | 『真鍋博の昆虫記』(中央公論社)刊行。 | |||
12月 | 「地図と日本人」(NHK、教養特集)に出演。 | |||
1977年 (45歳) |
1月 | 筒井康隆「エディプスの恋人」『週刊読売』(1日〜6月4日)の挿絵担当。 | 8月 | 原水爆禁止統一世界大会国際会議。 |
6月 | 『生き方発見の旅』(文藝春秋)刊行。 | 10月 | 国立国際美術館、旧万博美術館を改装し開館。 | |
『アミューズメント産業』(全日本遊園協会)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1999年4月)。 | 12月 | 草月会館(丹下健三設計)東京赤坂に完成。 | ||
1978年 (46歳) |
1月 | 「21世紀の日本のイメージ」を『VOICE』(PHP研究所)に掲載(〜12月)。 | 4月 | サンシャイン60、池袋にオープン。 |
「アジアの文化をさぐる旅」を『通産ジャーナル』(通商産業調査会)に連載(〜5月)。 | 5月 | 新東京国際空港開港。 | ||
2月 | 『イラストからの発想』(PHP研究所)刊行。 | 国際ビデオアート展、草月ギャラリーで開催。 | ||
3月 | 東北電力ポスター、サイクルショーポスター制作。 | 7月 | 東京・船の科学館で宇宙科学博開催。 | |
5月 | オセアニア取材旅行(〜6月中旬)。 | 8月 | 日本グラフィック・デザイナー協会(JAGDA)発足。 | |
10月 | パリ・装飾美術館で「日本のスペース・タイム」開催(磯崎新ら) | |||
日本初の実験用BS放送衛星打ち上げ。 | ||||
1979年 (47歳) |
1月 | 『星』(星発行所)の題字及び表紙を担当(〜2000年12月)。 | 6月 | 米で日本をテーマにした国際デザイン会議開催。 |
2月 | 国際児童年記念切手のデザインを手がける。 | 第2次オイル・ショック | ||
4月 | 『アジア・オセアニアの旅』(文藝春秋)刊行。 | 東京サミット(エネルギーサミット)開催、省エネ推進 | ||
9月 | 『真鍋博の線の画集』(平凡社)刊行。 | リニアモーターカー時速500km突破 | ||
1980年 (48歳) |
2月 | 『旅』(日本交通公社)取材で日本各地を訪問(〜10月)。 | イラン・イラク戦争勃発 | |
文庫クセジュ(白水社)のカバーを手がける。 | ||||
3月 | 『正論』(サンケイ出版)の目次及び目次絵のことば「世界の都市」を担当(〜1999年2月)。 | |||
『Point ヤマトマネキンニュース』(ヤマトマネキン)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1994年3月)。 | ||||
4月 | 『営業旬報』(新日本製鉄)の表紙「シリーズ 未来への設計」を担当(〜1981年3月)。 | |||
7月 | 「仕事場の窓から」を『毎日グラフ』に連載。 | |||
8月 | トルコ旅行。 | |||
1981年 (49歳) |
3月 | 『真鍋博の発想交差点』(実業之日本社)刊行。 | 3月 | ポートピア'81、神戸で開幕。 |
『ばっく・あっぷ』(金沢工業大学)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1994年6月)。 | 4月 | 米のスペースシャトル「コロンビア」打ち上げ成功。 | ||
4月 | 『マグロ サワガニ ヤマメ紀行』(冬樹社)刊行。 | 『FOCUS』創刊 | ||
1982年 (50歳) |
2月 | 高松市総合福祉会館の陶板を制作。 | 日航機、羽田沖で墜落 | |
6月 | 『ティータイム七五話』(毎日新聞社)刊行。 | フォークランド紛争勃発 | ||
「地球の裏側でいま 中南米模索の旅」を『通産ジャーナル』(通商産業調査会)に連載(〜11月)。 | ||||
10月 | 第1回小さな美術展(26日〜31日 銀座三越美術ギャラリー)に出品。 | |||
1983年 (51歳) |
2月 | 科学万博つくば'85三菱未来館の起案に参加。 | 4月 | 東京ディズニーランド開園。 |
10月 | 星新一との共著で『真鍋博のプラネタリウム』(新潮社文庫)刊行。 | |||
1984年 (52歳) |
4月 | 「草木綺譚」『朝日園芸百科』に植物のイラストを描く(30回)。 | 5月 | NHK、衛星放送開始。 |
7月 | 『真鍋博オリジナル'85』(講談社)刊行。 | 9月 | 東京国立近代美術館フィルムセンターで火災。 | |
JETRO特別経済調査でアフリカ13カ国を取材(〜8月末)。 | ||||
10月 | エッセイ「アフリカ2万3000キロ」を『通産ジャーナル』に掲載(〜'85年1月)。 | 『フライデー』創刊 | ||
1985年 (53歳) |
1月 | 『異文化圏遊泳』(中央公論社)刊行。 | 3月 | 科学万博つくば'85開催。 |
3月 | 科学万博つくば'85プランニングスタッフを務める。 | |||
新居浜市の核兵器廃絶都市宣言記念碑の陶板原画制作。 | ||||
真鍋博イラスト展(17日〜31日 新居浜市立郷土美術館)開催。 | 日航ジャンボ機、群馬県御巣鷹山に墜落 | |||
4月 | 『歩行文明』(中公文庫)刊行。 | |||
7月 | 「超発明 真鍋博・想像力への挑戦」を『交流』(関東OCC会)の表紙裏に掲載(〜1988年1月)。 | |||
1986年 (54歳) |
2月 | 国際イラストレーション・ビエンナーレ1986に出品。 | 4月 | 新都庁舎設計コンペ、丹下健三案に決定。 |
3月 | 21世紀エネルギーシンポジウムにてパネリストを務める。 | |||
建設省「手づくり郷土賞」選考委員を務める(〜1999年)。 | ||||
5月 | 富士急行創立50周年記念乗車券を甲斐絹織にて制作。 | チェルノブイリ原発事故 | ||
『放送批評』(行政通信社)にエッセイ連載(〜1988年4月)。 | ||||
9月 | 第23回全国広報広聴研究大会にて講演(松山市)。 | |||
10月 | NTTふれあいトーク大賞の審査委員を務める(〜2000年)。 | |||
11月 | 第9回日本スリーデーマーチの記念テレホンカードのためのイラストを描く。 | |||
1987年 (55歳) |
1月 | 「真鍋博の足裏エッセイ」を『WALK』(山と渓谷社)に掲載(〜1989年4月)。 | 2月 | NTT株上場。 |
6月 | 中・四国中学校長研究会愛媛大会にて講演。 | 4月 | 国鉄、分割・民営化。 | |
8月 | 北海道池田町の気球に赤牛の絵を描く。 | |||
10月 | 真鍋博イラストの世界展(21日〜11月2日 愛媛県立図書館)開催。 | |||
11月 | 第6回喫煙と健康世界会議ポスター制作。 | |||
1988年 (56歳) |
7月 | 瀬戸内環境シンポジウムにて特別講演を行う。 | 3月 | 東京ドームオープン。青函トンネル開通。 |
10月 | 「真鍋博の愛媛節」を『えひめ雑誌』に掲載(〜2000年12月)。 | 4月 | 瀬戸大橋開通。 | |
1989年 (57歳) |
3月 | 『愛媛県立図書館所蔵 真鍋博コレクション目録』(愛媛県立図書館編)刊行。 | 2月 | 天皇逝去、平成に改元。 |
5月 | 「真鍋博・美しい風景を探してきた」(テレビ東京、浪漫街道)に出演。 | 10月 | 幕張メッセ(槇文彦設計)竣工。 | |
7月 | 『ユリイカのカット'57〜'61』(トムズボックス)刊行。 | 北京で天安門事件 | ||
11月 | 『遊々ウォーキング』(同文書院)刊行。 | 東独、国境解放 ベルリンの壁崩壊 | ||
1990年 (58歳) |
10月 | アガサ・クリスティーシリーズ(ハヤカワ・ミステリ文庫)全85冊のカバーイラストを収めた小冊子発行。 | 7月 | 東京国立近代美術館で手塚治虫展開催。 |
11月 | 愛媛県県民総合文化祭ポスター制作。 | イラク、クェート侵攻 湾岸危機 統一ドイツ発足 |
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1991年 (59歳) |
5月 | 「瀧口修造に導かれて」を『コレクション瀧口修造』第3回第10巻月報に執筆。 | 5月 | 新都庁開庁。 |
10月 | 筒井康隆の『朝日新聞』連載小説「朝のガスパール」全161回(18日〜1992年3月31日)の挿絵を担当。 | ソ連共産党、解体 | ||
1992年 (60歳) |
7月 | JAPAN SCENE'92−ワビ・サビ・シンビ−(ワコール銀座アートスペース 13日〜18日)に出品。 | ||
11月 | 第15回日本スリーデーマーチ、テレホンカードのためのイラストを描く。 | |||
12月 | 第29回万国地質学会議のポスター、テレホンカード、絵はがきのためのイラストを描く。 | |||
松山新空港ビルモニュメント《三美神》原案作成。 | ||||
1993年 (61歳) |
3月 | 『建設業界』海洋協創立20周年記念座談会「人と海との共生をめざして」に同席。 | 皇太子ご成婚 | |
5月 | 「出会いの風景」全5回を『朝日新聞夕刊』(31日〜6月4日)に連載。 | |||
6月 | 日本エイズストップ基金協力委員を務める。 | |||
1994年 (62歳) |
12月 | 戦後日本の前衛美術展(横浜美術館 5日〜1995年3月30日)にアニメーション 《潜水艇カシオペア》 出品。 | 10月 | 関西新空港(レンゾ・ピアノ設計)開港。 |
11月 | 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。 | |||
松本サリン事件発生 | ||||
1995年 (63歳) |
4月 | 戦後文化の軌跡1945-1995展(19日〜6月4日 目黒区美術館)関連行事にアニメーション 《潜水艦カシオペア》 出品。 | 6月 | 青島東京都知事、世界都市博中止を決定。 |
11月 | 戦後日本のアニメーション1945-1995(24日〜12月3日 北海道立近代美術館)に 《潜水艦カシオペア》 《シネ・ポエム作品No.1》 を出品。 | 阪神大震災発生 都内で地下鉄サリン事件発生 ベトナムとアメリカの正式な国交樹立 仏、ムルロワ環礁で地下核実験 |
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日本のブックデザイン展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に出品。 | ||||
1996年 (64歳) |
5月 | 第1回東京国際スリーデーマーチのテレホンカードのためのイラスト。 | 薬害エイズ問題について国が法的責任を認め謝罪 | |
6月 | 真鍋博の世界展(1日〜8月31日 池田20世紀美術館)開催。 | |||
8月 | 21世紀・愛媛新聞社創刊120周年を記念する「愛媛新聞の使命」と題した論文の審査に加わる。 | |||
1997年 (65歳) |
5月 | 「自転車楽しんでいます」(NHKラジオ、いきいきホットライン)に出演。 | 6月 | 2005年万博を愛知にて開催決定。 |
1998年 (66歳) |
1月 | 「未来は自然の中にある」(NHK、土曜日の朝)に出演。 | 4月 | 明石海峡大橋開通。 |
5月 | 第3回国際スリーデーマーチのリーフレット、テレホンカードのためのイラスト。 | |||
10月 | 草月とその時代展(17日〜11月29日 芦屋市立未術博物館他)に資料が展示される。 | |||
1999年 (67歳) |
11月 | 愛媛県教育文化賞受賞。 | 5月 | しまなみ街道開通。 歩行者自転車専用道路がもうけられる。 |
2000年 (68歳) |
1月 | 瀬戸内海架橋懇談会最終会議。 | ||
5月 | 愛のテディベア展(NHK厚生文化事業団、難民を助ける会)に出品。 | |||
10月 | 31日がん性リンパ管症のため死去。 |
※ | 敬称は省略した。 |
※ | 本年譜は遺族からご提供いただいた資料、並びに『真鍋博の世界展』図録,池田20世紀美術館,1996年及び『愛媛県立図書館所蔵 真鍋博コレクション目録』 |
※ | 愛媛県立図書館編,1988年をもとに、以下の文献を参考にして作成した。 |
※ | 『日本美術年鑑』東京国立文化財研究所,各年版 |
※ | 『戦後史大事典』三省堂,1991年 |
※ | 『近代日本総合年表(第3版)』岩波書店,1991年 |
※ | 『戦後文化の軌跡1945-1995展』図録,目黒区美術館/広島市現代美術館/兵庫県立近代美術館/福岡県立美術館,1995年 |
※ | 『20世紀年表』毎日新聞社,1997年 |
※ | 『草月とその時代展』図録,芦屋市立美術博物館/千葉市美術館,1998年 |
※ | 『戦後日本のリアリズム展1945-1960年』図録,名古屋市美術館,1998年 |
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