愛媛県立図書館

真鍋博 年譜
 

  ※ この年譜は、「真鍋博回顧展 イマジネーションの散歩道」図録,愛媛県美術館,2001年に収載されたものです。
 真鍋年譜   関連事項
1932年 7月 愛媛県宇摩郡別子村に父・富太郎、母・喜美江の長男として生まれる。父・富太郎は村の助役をしていた。
1935年
(3歳)
父が住友金属鉱山に入社し新居郡中萩村(現新居浜市)に転居。
1943年
(11歳)
泉敬太郎(のちに全国でも初の革新派新居浜市長となる)の薫陶を受ける。
1948年
(16歳)
4月 愛媛県立新居浜西高等学校入学。
1950年
(18歳)
住友倶楽部にて裸婦の講習会に参加、講師は小磯良平と太田忠だった。 2月 丸木夫妻《原爆の図》連作開始。
1951年
19歳
3月 愛媛県立新居浜西高等学校卒業。 4月 デモクラート美術家協会結成
4月 多摩美術大学油絵科入学。東京都武蔵野市吉祥寺に住む。 6月 神田にタケミヤ画廊(企画・瀧口修造)開廊。
8月 実験工房結成
11月 神奈川県立近代美術館開館。
カミユ『異邦人』邦訳
サンフランシスコ講和会議にて対日平和条約調印
1952年
(20歳)
10月 第6回二紀会展(8日〜26日 東京都美術館 以後同会場)に《静物B》 を初出品。 1月 『美術批評』創刊(〜1957年2月)。
日米安保条約発効、GHQ廃止
血のメーデー
1953年
(21歳)
2月 第5回読売アンデパンダン展(4日〜20日 東京都美術館 以後同会場)に《錨と鰈》を初出品。 6月 第1回ニッポン展開催。
10月 第7回二紀会展(9日〜26日)に 《湿地区》 を出品褒賞受賞。 NHK、初のテレビ本放送開始
1954年
(22歳)
2月 第6回読売アンデパンダン展(3日〜19日)に出品。 1月 劇団「四季」旗揚げ公演
3月 多摩美術大学卒業。卒業後、宮本三郎に師事。 8月 具体美術協会結成。
4月 第1回真鍋博個展(2日〜4日 新居浜・別子大丸)開催、《錨と鰈》 《埋葬》 (60号) 《腐蝕した室内》 (60号) など油彩23点を展示。 11月 花田清輝『アヴァンギャルド芸術』刊行。
港区立赤坂中学校に勤務(1958年3月まで?)。
5月 二紀会春季展に 《布のある室内》 出品。 映画「ゴジラ」第1回封切り
10月 第8回二紀会展(9日〜26日)に 《鳥籠を持った人々》 《グッド・バイ》 《廃馬のある室内》 を出品、奨励賞を受賞。 第5福竜丸、アメリカのビキニ水爆実験により被爆
11月 真鍋博個展(15日〜20日 銀座・養清堂画廊)開催、《兵隊》《腐蝕した室内》 (100号) 《埋葬》 (100号) など油彩16点を展示。 原水爆禁止署名運動、全国協議会結成
1955年
(23歳)
3月 第7回読売アンデパンダン展(1日〜17日)に 《結核の人》 《蒲団》 《食卓》 を出品。 1月 日本デザイナー協会設立。
池田満寿夫、堀内康司らとグループ「実在者」結成。 4月 制作者懇談会結成。
4月 真鍋博個展(1日〜3日 新居浜市・朝日屋)開催、《湿地区》ほか油彩19点、デッサン13点を展示。 10月 第1回グラフィック55展開催。
5月 真鍋博個展:テーマ「現代の病人」(30日〜6月4日 銀座・養清堂画廊)開催、《繃帯をまいた人》 《政治囚》 など油彩18点を展示。 10月 具体美術協会第1回東京展。
5月 第3回ニッポン展出品。
6月 第1回グループ「実在者」展:テーマ「戦争」(28日〜7月2日 銀座・フォルム画廊)に 《繃帯》 など油彩4点を出品、アイ嘔も参加。 第1回原水爆禁止世界大会
8月 第2回グループ「実在者」展:テーマ「無人間時代」(8日〜13日 銀座・村松画廊)に 《埋設工事》 など油彩5点を出品。 森永砒素ミルク事件発覚         
43人展(26日〜31日 銀座・松坂屋)に出品。 ル・コルビジェ来日     
10月 第9回二紀会展(9日〜26日)に 《セイブツ》 を出品、二紀賞受賞、同人推挙。 日本住宅公団設立
11月 真鍋博個展(2日〜4日 松山・伊予鉄ホール)開催、油彩25点展示。
グループ「実在者」退会。
12月 今日の新人・1955年展(3日〜1956年1月15日 神奈川県立近代美術館)に 《都会主義者》 を出品。
1956年
(24歳)
2月 真鍋博個展「27匹の昆虫」(2日〜7日 銀座・村松画廊)開催、27点展示。 5月 ニューヨークで日本グラフィック・デザイン展開催(原弘、早川良雄、亀倉雄策ら)。
3月 第8回読売アンデパンダン展(1日〜17日)に 《アパート》 を出品。 10月 『ユリイカ』創刊(〜1961年2月)
9月 真鍋博作品展(1日〜15日 新宿・風月堂画廊)開催、《セイブツ(人間)》 《都市主義者》 など油彩20点に加え彫刻、フォト・モンタージュ等を展示。 11月 「世界・今日の美術展」で仏のアンフォルメル等紹介。
10月 第10回記念二紀会展(9日〜26日)に 《六災図(旱ばつ)》《壁画・キリスト》 を出品、同人優賞受賞。 石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞受賞
中野好夫『もはや「戦後」ではない』刊行
46人展(12日〜17日 銀座・松坂屋)に出品。 『週刊新潮』創刊(週刊誌ブーム到来)
水俣市で原因不明の中枢神経病が問題化
12月 『ユリイカ』(書肆ユリイカ)の表紙及び本文のカットを担当(〜1961年2月)。 日ソ国交回復に関する共同宣言調印
日本、国連に正式加盟
1957年
(25歳)
2月 真鍋博個展「動物」(12日〜20日 神田・タケミヤ画廊)開催、《1ツ目2ツ目3ツ目》 《隠シ神》 など24点を展示。 2月 東京都庁(丹下健三設計)第1庁舎落成、岡本太郎が壁画を制作。
第9回読売アンデパンダン展(25日〜3月12日)に出品。 タケミヤ画廊閉廊。
3月 美術団体選抜新人展(26日〜4月7日 白木屋/朝日新聞社主催)に出品。 4月 日本デザイン協議会設立。          
4月 青井辰雄・真鍋博2人展(6日〜11日 松山・三越)開催、油彩、グワッシュなどを展示。 6月 デモクラート美術協会解散。
6月 漫画集『食民地ニッポン』(昭森社)刊行。 第1回東京ADC(アド・アート・ディレクターズ・クラブ)賞に大橋正。
7月 真鍋博フォト・コラージュ個展(22日〜28日 銀座・櫟画廊)を開催。 南極探検隊、昭和基地誕生
10月 第11回二紀会展(10日〜27日)に 《樋幽霊》 《蜘蛛一族》《右手炎上》 を出品、同人賞受賞。 J.マチュウ、M.タピエ、S.フランシス来日、公開制作が話題となる
46人展(12日〜17日 渋谷・東横)に出品。 ソ連、世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功、
11月 安井賞候補新人展(12日〜24日 東京国立近代美術館)に出品。 宇宙開発時代の到来
1958年
(26歳)
3月 ユリイカ詩画展(3日〜9日 新橋・画廊ひろし)に出品、長谷川竜生と組む。 7月 新超現実派結成。                 
第10回読売アンデパンダン展(12日〜27日)に 《飛花》 を出品。 9月 ブリュッセル万博で日本館(前川國男設計)金賞受賞。
グループ多摩美展(29日〜4月3日 松山・三越ほか)に出品。 12月 東京タワー(内藤多仲設計)完工。
4月 第2漫画集『寝台と十字架』(ユリイカ)刊行。
5月 ポレミックタブロー「動物園」を『図書新聞』(日本経営出版会)に掲載(〜1959年5月?)。 テレビ受信契約数1000万台を突破
ポレミックタブロー「女のいない国へ行こう!」を『現代詩』(百合出版)に掲載(〜12月)。 大江健三郎『飼育』が芥川賞受賞
7月 『漫画報』37号で真鍋博特集が組まれる。 江藤淳、石原慎太郎、大江健三郎らが「若い日本の会」結成
8月 4人の漫画家展(長新太、真鍋博、久里洋二、井上洋介)(18日〜24日 新橋・画廊ひろし)に出品。
9月 ポエム・オブジェ展(8日〜14日 新橋・画廊ひろし)に出品。
空の写真展(12日〜17日 銀座・小西六ギャラリー)に出品。
10月 第12回二紀会展(10月12日〜30日)に 《前兆》 《輸入品》 《空の衛生》 《アパートの人》 《行進》 を出品。
三宅麗子と結婚し、杉並区西荻窪に転居。
「がいらいご・がっさいぶくろ」を『美術手帖』に掲載(〜1959年8月)。
11月 星新一「おーい でてこーい」の挿絵を同人誌『宇宙塵』に掲載。
12月 絵本『棗を喰った話』(文・関根弘 絵・真鍋博)(亜紀社)刊行。
長新太、真鍋博、久里洋二、井上洋介漫画4人展(20日〜1月20日 新宿・風月堂)を開催。
1959年
(27歳)
1月 ポエティ・グラフィカ展(11日〜31日 新宿・風月堂)開催。 4月 草月アートセンター活動開始。
「愛媛の昔語り」を『愛媛新聞』に連載(〜1960年8月)。 6月 国立西洋美術館(ル・コルビュジエ設計)開館、松方コレクション公開。
ミステリの専門誌『宝石』の目次カットを担当(〜1960年12月) 10月 『デザイン』創刊。
2月 第11回読売アンデパンダン展(12日〜27日)に出品。 12月 日本デザインセンター設立。
3月 『動物園』(ユリイカ)刊行。
櫟画廊新人展第1回島田しず子・真鍋博展(20日〜26日 銀座・櫟画廊)開催。
5月 絵本『おいらん物語』(文・岩田宏 絵・真鍋博)刊行。山川方夫『日々の死』(平凡出版)装幀。 漫画同人雑誌ブーム『えへ』『COO』(久里洋二主宰)など
6月 『現代詩全集』(書肆ユリイカ)装幀。 『朝日ジャーナル』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊、週刊誌刊行ラッシュ
8月 『ロートレアモン全集』(書肆ユリイカ)の装幀と挿画(エッチング)に携わる。 皇太子御成婚
9月 仁木悦子『林の中の家』(講談社)装幀。 オリンピック、東京開催決定
10月 第13回二紀会展(12日〜30日)にセイブツ・アメリカンシリーズ 《断末魔の遺品》 《美しい副腎嚢》 《髪の毛の果物》を出品。
アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』(河出書房新社)装幀。
12月 長男・真 生まれる。
1960年
(28歳)
3月 「草月コンテンポラリーシリーズ第1回 作曲家集団3月の会 林光」にて 《ミュージカル・プロジェクション〈僕は神様〉》 (台本=安部公房、製作=真鍋博)上映。 2月 『SFマガジン』創刊。
櫟画廊新人展(20日〜26日)開催。 草月アートセンター機関誌『SAC』創刊(〜1964年4月8日)。
4月 新宿区荒木町に転居。 5月 世界デザイン会議、東京で開催。
5月 「草月ミュージック・イン第5回 モダンジャズの多角的応用」にて 真鍋博 《シネ・カリカチュア》 (作曲=美保敬太郎)上映。 6月 東京オリンピックの五輪マークに亀倉雄策案当選。
6月 第6回原水爆禁止世界大会への参加を呼びかける10円パンフ「原水爆があるかぎり」の作成に参加。 新日米安全保障条約調印
7月 「吃音宣言」(文=武満徹)『SAC』にカットを掲載(〜1963年12月1日)。 大島渚《日本の夜と霧》など日本映画が話題
9月 モルカディ・ロシュワルト原作「レベルセブン 第七地下壕」『朝日ジャーナル』(4/17〜9/11号連載)挿絵で第1回講談社さしえ賞受賞。 新安保条約強行採決
10月 『愛媛の昔語り』(朝日出版社)刊行。 国会内外で全学連と機動隊衝突、樺美智子死亡
第14回二紀会展(11日〜30日)に 《澱んでいる血液》 《分離する血液》 《うっせきした血液》 を出品。 カラーテレビ放送開始
モルカディ・ロシュワルト『レベルセブン(第七地下壕)』(彌生書房)装幀。
11月 久里洋二、柳原良平とアニメーション3人の会を結成。
「草月コンテンポラリーシリーズ第5回 3人のアニメーション」にて 真鍋博 《マリーン・スノウ》 (詩=木島始、演出=遠藤利男/観世栄夫、音楽=林光) 上映。
12月 「草月コンテンポラリーシリーズ第6回 作曲家集団12月の会 諸井誠」にて 諸井誠 《赤い繭》 (台本=阿部公房)の美術装置担当。
1961年
(29歳)
1月 『リルケ全集』(彌生書房)装幀。 1月 丹下健三研究所「東京計画1960」発表。
俳優座 《石の語る日》 (作=安部公房、演出=千田是也 22日〜4月30日 俳優座)の装置を担当 2月 東京オリンピック公式ポスター第1号発表。
2月 伊達得夫死去に伴い『ユリイカ』終刊。 4月 東京文化会館(前川國男設計)落成。
3月 劇団四季24回公演 《ベケットあるいは薔薇と十字架》 (原作=J.アヌイ、演出=浅利慶太 20日〜27日 第一生命ホール)の美術を担当。 ソ連の有人宇宙船、地球周回に成功
7月 岩田一男『英語に強くなる本』(光文社)カバーと挿絵を担当、戦後最大の発行部数を記録。
8月 フジテレビにて切り紙によるアニメーション 《2つの山のおはなし》 放映。
12月 「草月シネマテーク第3回 3人のアニメーション・2」で真鍋博《シネ・ポエム作品No.1》 (脚本/演出=東松照明) 《山のおはなし2つ》 (台本=岩田宏、音楽=玉野良夫)上映。
1962年
(30歳)
2月 人形劇団「ひとみ座」 《モマングランギニヨレスク》 (原作=谷川俊太郎、演出=清水浩二 13日〜17日 草月会館ホール)の美術を担当。 7月 安部公房『砂の女』発表。
4月 「鳥類図鑑」(カット/文)(〜'83年5月)を『現代の眼』に掲載。 9月 具体美術協会、展示施設グタイ・ピナコテカを大阪に開設。
7月 《Lines of Lines》 (原作=谷川俊太郎)製作。 10月 ジョン・ケージ来日、草月会館ホールなどで公演。
劇団四季28回公演 《エレクトル》 (原作=J.ジロドゥ、演出=浅利慶太 15日〜22日 第一生命ホール)の美術を担当。
11月 《宝島 第1話》 製作。 東京、世界初の1000万人都市に
12月 『田村隆一詩集』装幀。 テレビ受信契約者数1000万人突破、普及率48.5%
1963年
(31歳)
1月 映画 《モンローのような女》 (松竹 原作=舟橋聖一 監督=渋谷実)タイトルバック製作。 1月 《鉄腕アトム》 テレビ放送開始、初の国産連続テレビアニメ。
4月 「草月シネマテーク第6回 3人のアニメーション・3 (3日〜22日 草月会館ホール)で真鍋博 《時間》 (原案=都筑道夫 音楽=高橋悠治)、《MARCH》 (音楽=秋山邦晴)上映。 3月 小松左京、星新一らの日本SF作家クラブ発足。
『週刊朝日』目次を担当(〜1965年5月)。 10月  日生劇場開場(村野藤吾設計)
7月 『応用機械工学』カットを担当(〜1994年5月)。
11月 「フェーゲラインコール第9回演奏会」(14,15日 文京公会堂)のポスター制作。
1964年
(32歳)
1月 『現代詩手帖』『文藝』の表紙とカットを担当(〜12月)。 1月 読売新聞社、読売アンデパンダン展中止を通告。
2月 劇団四季30回公演 《十字架への献身》 のポスター、パンフレット制作。 6月 第1回太陽賞に荒木経惟。
4月 ニューヨーク世界博日本館のイラスト壁画 《夢か現実か?》制作 7月 第1回草月実験劇場開催。
新宿区大京町へ転居。 11月 ペルソナ展でグラフィックデザイナーの近作展示。
6月 劇団四季31回公演 《イフィジュニイ》 のポスター、パンフレット制作
7月 「東京'64ガイドマップ」を久里洋二、柳原良平と合作。 東海道新幹線(東京-新大阪)開業
8月 京都絵地図(美術出版社)発行。 海外旅行自由化
東京イラストレーターズクラブの結成に加わる(久里洋二、柳原良平、粟津潔、宇野亜喜良、横尾忠則ら)。 代々木のオリンピック施設完成(丹下健三)
9月 「草月シネマテーク第11回 アニメーション・フェスティバル」 (21日〜26日 草月会館ホール)で真鍋博 《潜水艦カシオペア》 (原作=都筑道夫)上映、フェスティバルには手塚治虫、和田誠らが参加。 永井一正、杉浦康平、田中一光ら活躍
1965年
(33歳)
1月 『美術手帖』の表紙と目次を担当(〜12月)。 9月 ニューヨーク近代美術館で池田満寿夫の版画展開催。
『太陽』に国立公園地図を掲載(〜1966年6月)。
2月 劇団四季33回公演 《トロイ戦争は起こらないだろう》 ポスター、パンフレット制作。
教科書(光村図書など)のイラストを手がける。 日本万博、大阪開催決定
5月 『星をたべた馬』(岩崎書店)刊行。 ベトナム戦争激化
9月 次男・由 生まれる。
10月 「アニメーション・フェスティバル65」(1日〜18日 草月会館ホール)で真鍋博 《宇宙鳥》 (原作=都筑道夫)上映。
戦後の現代日本美術展(20日〜11月8日 神奈川県立近代美術館)に 《蓮花》 を出品。
11月 「アニメーション・フェスティバル65」松山で開催(1日 松山市民会館/南海放送主宰) 真鍋博 《宇宙鳥》 《時間》 上映。
12月 「植物園」を『図書新聞』(日本経営出版会)に連載。
1966年
(34歳)
4月 『岩田宏詩集』(思潮社)装幀。 6月 第33回ヴェネチア・ビエンナーレで池田満寿夫版画部門グランプリ。
7月 『ミステリマガジン』(早川書房)表紙、タイトルと目次を担当(〜1979年6月)。 10月 札幌冬季オリンピックの公式マーク、永井一正デザインに決定。
10月 「アニメーション・フェスティバル66」(21日〜11月4日 草月会ホール)で 《追跡》 (台本=星新一)上映。 日本の総人口1億人突破
ザ・ビートルズ来日
中国で文化大革命
11月 『絵で見る20年後の日本』(日本生産性本部)刊行。 《ウルトラマン》テレビ放映開始
1967年
(35歳)
2月 『ソビエトSF選集』全5冊(大光社) 表紙を担当 (〜9月) 7月 岡本太郎、万博のテーマ展示プロデューサーに決定。
4月 『ENGINEERS』(日本科学技術連盟)の表紙を担当(〜2001年3月)。
「カメラリポート」(NHK)の出演が始まる。
6月 「ぼくの未来住宅」を『高層住宅』(有朋社)に掲載(〜1979年12月)。 第3次中東戦争勃発
カナダ・モントリオール万博を取材し、朝日新聞に絵と文を掲載。 公害対策基本法公布施行
「真鍋博の鳥の眼」を『サンデー毎日』に連載開始、全国45都市の鳥瞰図を描く。 サルトル、ボーヴォワール来日
12月 『日本万博』vol.4(日本万博協会)のイラストを手がける。 天井桟敷、早稲田小劇場など小劇場活動盛ん
1968年
(36歳)
1月 『科学朝日』(朝日新聞社)にカットを掲載(〜1969年12月)。 3月 第1回京都デザイン会議開催。
8月 「冒険への招待」全5回(NHK、女性手帳・話の招待席)に出演。 4月 初の超高層ビル霞ヶ関ビル竣工(地上36階、147m)。
12月 『真鍋博の鳥の眼』(毎日新聞社)刊行。 7月 日本未来学会発足。梅棹忠夫、小松左京らの未来論ブーム。
東大紛争開始
仏で5月危機
1969年
(37歳)
1月 『2001年の日本』(加藤秀俊/真鍋博/朝日新聞社 共同編集 朝日新聞社)刊行。 5月 東名高速道路全面開通。
4月 東京イラストレーターズクラブ展(3日〜30日 プラザディック)に出品。 6月 イラストレーター会議発足(早川良雄ら)。
『こんにちは三井銀行』表紙及びカットを担当(〜1998年10月)。 安田講堂の封鎖を解除
7月 人類初の月面着陸に成功したアポロ11号3人の飛行士来日の特別番組(NHK)でアームストロング船長らと歓談。 経済企画庁、日本の1968年度GNPが世界第2位に躍進と発表
「星空散歩」全5回(NHK、女性手帳・話の招待席)に出演。
1970年
(38歳)
3月 日本万国博(14日〜9月13日 大阪・千里)の三菱未来館の起案に参加。万博開催記念たばこのパッケージデザインやガイドマップを手がける。 3月 京都で国際未来会議
5月 「SFショートショート」『月刊エコノミスト』のイラスト担当(〜1972年12月)。 4月 戦争絵画155点アメリカから返還。
12月 沖縄国際海洋博テーマ委員。 6月 日宣美、解散式を全国5会場で同時開催。
「こんにちは奥さん」「お母さんの勉強室」「10代とともに」(NHK)にたびたび出演し、子どもの教育について語る。 『an・an』『non・no』などファッション誌創刊
東京都で初の光化学スモッグ現象確認

万博閉幕、総入場者数6421万人、万博美術展は177万人来場
三島由紀夫、自衛隊を占拠し割腹自殺
自動車事故による死者数ピーク
銀座、新宿で歩行者天国始まる
本州四国連絡橋公団設立
1971年
(39歳)
1月 『超発明』(講談社)刊行。 6月 新宿に超高層の京王プラザホテルオープン(地上47階、170m)、副都心ビル群出現のはじまり。
『放送朝日』(朝日放送)に「Visual Communicator Corner」を連載(〜1972年12月)
5月 『真鍋博の複眼人間論』(実業之日本社)刊行。
7月 『ひとり旅教育』(文藝春秋)刊行。 NHK総合テレビ、全カラー化
10月 『自動車じどうしゃ』(主婦と生活社)刊行。
『父・真鍋富太郎』(限定150部)出版。
12月 「昆虫記」を『図書新聞』(日本経営出版会)に連載。
1972年
(40歳)
4月 自ら発案した4人乗り三輪自転車「フランキー号」にて霞ヶ浦周遊。 2月 住友金属、別子銅山の閉山を発表。
『ユネスコクーリエ』にイラストと文を掲載(〜1979年3月)。 3月 具体美術協会解散。
12月 バイコロジーをすすめる会推進企画委員。 5月 環境庁、第1回瀬戸内海水質汚濁総合調査開始。
バイコロジーブームに。 11月 東京で世界都市会議開催。
『ぴあ』創刊
札幌冬季オリンピック開催
浅間山荘事件
沖縄返還
東京都、光化学スモッグ対策に関する交通規制案政策
1973年
(41歳)
1月 『ミリオンホーム』(ミリオンホームセンター)の表紙を担当(〜1975年3月?)。 10月 京都で、世界インダストリアル・デザイン会議議開催。
4月 『自転車讃歌』(ぺりかん社)刊行。
第9回東京国際見本市ポスター制作。 文庫本ブーム
5月 「ゆっくり歩こう運動」のポスター、ワッペンを制作。 水俣病裁判、患者側全面勝訴
「ユックリズム」が流行語に。 小松左京のSF小説『日本沈没』(光文社)が350万部の大ベストセラーに
「思考の憶え描き」を『SFマガジン』(早川書房)に連載(〜1975年9月)。
6月 自転車「赤とんぼ号」を乗り継いで日本1周3000kmをする計画が実現、関連グッズの制作。 PCB汚染が問題化
8月 『未来行き列車に乗って』(文化出版局)刊行。 第4次中東戦争勃発、原油価格値上げ、オイル・ショックにより日用品高騰
1974年
(42歳)
4月 第10回東京国際見本市ポスター制作。 9月 宇宙開発事業団、種子島宇宙センターから試験用ロケット1号機打ち上げ成功。
6月 星新一の作品集全18巻(新潮社)装幀(〜1975)。 電通の広告取扱高、世界一に
有吉佐和子「複合汚染」(朝日新聞連載)ブーム
7月 『歩行文明』(PHP研究所)刊行。 自動車国内需要、戦後初のマイナス成長
1975年
(43歳)
4月 第11回東京国際見本市ポスター制作。 7月 沖縄国際海洋博覧会開催。
5月 『真鍋博Original1975』(講談社)刊行。 9月 万博公園の岡本太郎・太陽の塔、永久保存決定。
7月 紀田順一郎「世界の書物」『週刊新潮』にイラスト掲載(〜12月)。 新幹線、岡山-博多開業により、東京-博多全面開通
政府の公報予算急増
ベトナム戦争終結
カラーテレビ普及率91%
リニアモーターカー開発に成功
1976年
(44歳)
3月 『真鍋博の植物園』(中央公論社)刊行。
7月 『思考の憶え描き』(早川書房)刊行。
11月 『真鍋博の昆虫記』(中央公論社)刊行。
12月 「地図と日本人」(NHK、教養特集)に出演。
1977年
(45歳)
1月 筒井康隆「エディプスの恋人」『週刊読売』(1日〜6月4日)の挿絵担当。 8月 原水爆禁止統一世界大会国際会議。
6月 『生き方発見の旅』(文藝春秋)刊行。 10月 国立国際美術館、旧万博美術館を改装し開館。
『アミューズメント産業』(全日本遊園協会)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1999年4月)。 12月  草月会館(丹下健三設計)東京赤坂に完成。
1978年
(46歳)
1月 「21世紀の日本のイメージ」を『VOICE』(PHP研究所)に掲載(〜12月)。 4月 サンシャイン60、池袋にオープン。
「アジアの文化をさぐる旅」を『通産ジャーナル』(通商産業調査会)に連載(〜5月)。 5月 新東京国際空港開港。
2月 『イラストからの発想』(PHP研究所)刊行。 国際ビデオアート展、草月ギャラリーで開催。
3月 東北電力ポスター、サイクルショーポスター制作。 7月 東京・船の科学館で宇宙科学博開催。
5月 オセアニア取材旅行(〜6月中旬)。 8月 日本グラフィック・デザイナー協会(JAGDA)発足。
10月 パリ・装飾美術館で「日本のスペース・タイム」開催(磯崎新ら)
日本初の実験用BS放送衛星打ち上げ。
1979年
(47歳)
1月 『星』(星発行所)の題字及び表紙を担当(〜2000年12月)。 6月 米で日本をテーマにした国際デザイン会議開催。
2月 国際児童年記念切手のデザインを手がける。 第2次オイル・ショック
4月 『アジア・オセアニアの旅』(文藝春秋)刊行。 東京サミット(エネルギーサミット)開催、省エネ推進
9月 『真鍋博の線の画集』(平凡社)刊行。 リニアモーターカー時速500km突破
1980年
(48歳)
2月 『旅』(日本交通公社)取材で日本各地を訪問(〜10月)。 イラン・イラク戦争勃発
文庫クセジュ(白水社)のカバーを手がける。
3月 『正論』(サンケイ出版)の目次及び目次絵のことば「世界の都市」を担当(〜1999年2月)。
『Point ヤマトマネキンニュース』(ヤマトマネキン)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1994年3月)。
4月 『営業旬報』(新日本製鉄)の表紙「シリーズ 未来への設計」を担当(〜1981年3月)。
7月 「仕事場の窓から」を『毎日グラフ』に連載。
8月 トルコ旅行。
1981年
(49歳)
3月 『真鍋博の発想交差点』(実業之日本社)刊行。 3月 ポートピア'81、神戸で開幕。
『ばっく・あっぷ』(金沢工業大学)の表紙及び表紙のことばを担当(〜1994年6月)。 4月 米のスペースシャトル「コロンビア」打ち上げ成功。
4月 『マグロ サワガニ ヤマメ紀行』(冬樹社)刊行。 『FOCUS』創刊
1982年
(50歳)
2月 高松市総合福祉会館の陶板を制作。 日航機、羽田沖で墜落
6月 『ティータイム七五話』(毎日新聞社)刊行。 フォークランド紛争勃発
「地球の裏側でいま 中南米模索の旅」を『通産ジャーナル』(通商産業調査会)に連載(〜11月)。
10月 第1回小さな美術展(26日〜31日 銀座三越美術ギャラリー)に出品。
1983年
(51歳)
2月 科学万博つくば'85三菱未来館の起案に参加。 4月 東京ディズニーランド開園。
10月 星新一との共著で『真鍋博のプラネタリウム』(新潮社文庫)刊行。
1984年
(52歳)
4月 「草木綺譚」『朝日園芸百科』に植物のイラストを描く(30回)。 5月 NHK、衛星放送開始。
7月 『真鍋博オリジナル'85』(講談社)刊行。 9月 東京国立近代美術館フィルムセンターで火災。
JETRO特別経済調査でアフリカ13カ国を取材(〜8月末)。    
10月 エッセイ「アフリカ2万3000キロ」を『通産ジャーナル』に掲載(〜'85年1月)。 『フライデー』創刊
1985年
(53歳)
1月 『異文化圏遊泳』(中央公論社)刊行。 3月 科学万博つくば'85開催。
3月 科学万博つくば'85プランニングスタッフを務める。
新居浜市の核兵器廃絶都市宣言記念碑の陶板原画制作。
真鍋博イラスト展(17日〜31日 新居浜市立郷土美術館)開催。 日航ジャンボ機、群馬県御巣鷹山に墜落
4月 『歩行文明』(中公文庫)刊行。
7月 「超発明 真鍋博・想像力への挑戦」を『交流』(関東OCC会)の表紙裏に掲載(〜1988年1月)。
1986年
(54歳)
2月 国際イラストレーション・ビエンナーレ1986に出品。 4月 新都庁舎設計コンペ、丹下健三案に決定。
3月 21世紀エネルギーシンポジウムにてパネリストを務める。
建設省「手づくり郷土賞」選考委員を務める(〜1999年)。
5月 富士急行創立50周年記念乗車券を甲斐絹織にて制作。 チェルノブイリ原発事故
『放送批評』(行政通信社)にエッセイ連載(〜1988年4月)。
9月 第23回全国広報広聴研究大会にて講演(松山市)。
10月 NTTふれあいトーク大賞の審査委員を務める(〜2000年)。
11月 第9回日本スリーデーマーチの記念テレホンカードのためのイラストを描く。
1987年
(55歳)
1月 「真鍋博の足裏エッセイ」を『WALK』(山と渓谷社)に掲載(〜1989年4月)。 2月 NTT株上場。
6月 中・四国中学校長研究会愛媛大会にて講演。 4月 国鉄、分割・民営化。
8月 北海道池田町の気球に赤牛の絵を描く。
10月 真鍋博イラストの世界展(21日〜11月2日 愛媛県立図書館)開催。
11月 第6回喫煙と健康世界会議ポスター制作。
1988年
(56歳)
7月 瀬戸内環境シンポジウムにて特別講演を行う。 3月 東京ドームオープン。青函トンネル開通。
10月 「真鍋博の愛媛節」を『えひめ雑誌』に掲載(〜2000年12月)。 4月 瀬戸大橋開通。
1989年
(57歳)
3月 『愛媛県立図書館所蔵 真鍋博コレクション目録』(愛媛県立図書館編)刊行。 2月 天皇逝去、平成に改元。
5月 「真鍋博・美しい風景を探してきた」(テレビ東京、浪漫街道)に出演。 10月 幕張メッセ(槇文彦設計)竣工。
7月 『ユリイカのカット'57〜'61』(トムズボックス)刊行。 北京で天安門事件
11月 『遊々ウォーキング』(同文書院)刊行。 東独、国境解放 ベルリンの壁崩壊
1990年
(58歳)
10月 アガサ・クリスティーシリーズ(ハヤカワ・ミステリ文庫)全85冊のカバーイラストを収めた小冊子発行。 7月 東京国立近代美術館で手塚治虫展開催。
11月 愛媛県県民総合文化祭ポスター制作。 イラク、クェート侵攻 湾岸危機
統一ドイツ発足
1991年
(59歳)
5月 「瀧口修造に導かれて」を『コレクション瀧口修造』第3回第10巻月報に執筆。 5月  新都庁開庁。
10月 筒井康隆の『朝日新聞』連載小説「朝のガスパール」全161回(18日〜1992年3月31日)の挿絵を担当。 ソ連共産党、解体
1992年
(60歳)
7月 JAPAN SCENE'92−ワビ・サビ・シンビ−(ワコール銀座アートスペース 13日〜18日)に出品。
11月 第15回日本スリーデーマーチ、テレホンカードのためのイラストを描く。
12月 第29回万国地質学会議のポスター、テレホンカード、絵はがきのためのイラストを描く。
松山新空港ビルモニュメント《三美神》原案作成。
1993年
(61歳)
3月 『建設業界』海洋協創立20周年記念座談会「人と海との共生をめざして」に同席。 皇太子ご成婚
5月 「出会いの風景」全5回を『朝日新聞夕刊』(31日〜6月4日)に連載。
6月 日本エイズストップ基金協力委員を務める。
1994年
(62歳)
12月 戦後日本の前衛美術展(横浜美術館 5日〜1995年3月30日)にアニメーション 《潜水艇カシオペア》 出品。 10月 関西新空港(レンゾ・ピアノ設計)開港。
11月 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。
松本サリン事件発生
1995年
(63歳)
4月 戦後文化の軌跡1945-1995展(19日〜6月4日 目黒区美術館)関連行事にアニメーション 《潜水艦カシオペア》 出品。 6月 青島東京都知事、世界都市博中止を決定。
11月 戦後日本のアニメーション1945-1995(24日〜12月3日 北海道立近代美術館)に 《潜水艦カシオペア》 《シネ・ポエム作品No.1》 を出品。 阪神大震災発生
都内で地下鉄サリン事件発生
ベトナムとアメリカの正式な国交樹立
仏、ムルロワ環礁で地下核実験
日本のブックデザイン展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に出品。
1996年
(64歳)
5月 第1回東京国際スリーデーマーチのテレホンカードのためのイラスト。 薬害エイズ問題について国が法的責任を認め謝罪
6月 真鍋博の世界展(1日〜8月31日 池田20世紀美術館)開催。
8月 21世紀・愛媛新聞社創刊120周年を記念する「愛媛新聞の使命」と題した論文の審査に加わる。
1997年
(65歳)
5月 「自転車楽しんでいます」(NHKラジオ、いきいきホットライン)に出演。 6月 2005年万博を愛知にて開催決定。
1998年
(66歳)
1月 「未来は自然の中にある」(NHK、土曜日の朝)に出演。 4月 明石海峡大橋開通。
5月 第3回国際スリーデーマーチのリーフレット、テレホンカードのためのイラスト。
10月 草月とその時代展(17日〜11月29日 芦屋市立未術博物館他)に資料が展示される。
1999年
(67歳)
11月 愛媛県教育文化賞受賞。 5月 しまなみ街道開通。
歩行者自転車専用道路がもうけられる。
2000年
(68歳)
1月 瀬戸内海架橋懇談会最終会議。
5月 愛のテディベア展(NHK厚生文化事業団、難民を助ける会)に出品。
10月 31日がん性リンパ管症のため死去。

敬称は省略した。
本年譜は遺族からご提供いただいた資料、並びに『真鍋博の世界展』図録,池田20世紀美術館,1996年及び『愛媛県立図書館所蔵 真鍋博コレクション目録』
 愛媛県立図書館編,1988年をもとに、以下の文献を参考にして作成した。
『日本美術年鑑』東京国立文化財研究所,各年版
『戦後史大事典』三省堂,1991年
『近代日本総合年表(第3版)』岩波書店,1991年
『戦後文化の軌跡1945-1995展』図録,目黒区美術館/広島市現代美術館/兵庫県立近代美術館/福岡県立美術館,1995年
『20世紀年表』毎日新聞社,1997年
『草月とその時代展』図録,芦屋市立美術博物館/千葉市美術館,1998年
『戦後日本のリアリズム展1945-1960年』図録,名古屋市美術館,1998年



 愛媛県松山市堀之内(〒790-0007)
  Tel:089-993-6244(えひめ資料室)・089-941-1441(代)
  Fax:089-941-1454
  kyodo@libnet.ehimetosyokan.jp